堆積物中に保存されているバイオマーカーと呼ばれる生物起源の脂質化合物中の水素同位体組成は古気候や古環境を研究する科学者から、長きにわたって関心を集めています。このような脂質の安定同位体分析には、ガスクロマトグラフ - 安定同位体比質量分析法(GC-IRMS)が用いられていますが、比較的低分子量・低極性の化合物(一般的なキャピラリーGCカラム温度約320~350℃で溶出する化合物)を測定する場合に限られており、分子量が 500g/mol以上の化合物の水素同位体比の定量を一般的なGC-IRMSで行った前例はほとんどありません。分子量の大きい化合物や極性化合物の水素同位体分析の中で特に注目されている化合物は、トリアシルグリセリド(TAG)です。その脂肪酸は、考古学的な食生活研究や現代の食品偽装判定分析によく用いられています。また、グリセロールジアルキルグリセロールテトラエーテルなどのテトラエーテル脂質は、その相対的な分布が古気候や環境分析のプロキシとして広く用いられています。一般的に、これらの分子の同位体分析は、煩雑な前処理が必要であり、さらにその過程で、その水素同位体の交換・分別や、親分子を特定するための特異性が失われるなど、分析結果に大きな誤差や不確実性が生じることがわかっています。
ブリストル大学とプリマス大学に在籍しているSabine Lengger博士は、高温ガスクロマトグラフィー(HTGC)の接続が可能なElementar社 GC5 - IRMSシステムを用いた高分子化合物や高極性化合物の安定同位体組成を定量する新しい分析法を開発しました。Lengger博士は、Elementar UK Ltd(Kyle W. R. Taylor博士、Robert Berstan博士)およびコロラド大学、ハーバード大学、ダートマス大学との共同研究を行い、この新しいHTGC-IRMSによるδ2H法を検証するため、すでに確立されている熱分解装置を用いてHTGC-IRMSで分析した各化合物標準試料のバルク分析を行い、各分析法で得られた分析値の比較を行ったところ、非常に良い相関があることがわかりました。この結果から、HTGC-IRMS法を用いることで、従来の分析法の難点である煩雑な前処理による化合物の単離や前処理による試料の重要な情報を失うことなく、高分子化合物や高極性化合物の分析が可能になりました。この分析法によって、食品鑑識、考古学、石油地質学、微生物生態学、古気候、古水文学などの分野で、これまで困難とされていた高分子高極性化合物に含まれるバイオマーカーの同位体分析が可能になります。
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